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仁王経という経典の中に「七難即滅 七福即生」という一節があります。
教え導くところを篤く信じ行えば世の中の七つの大難(太陽、星の異変・火災・水害・風害・早害・盗難)はたちどころに消滅し、七つの福が生じる。
というのです。
この七つの福と言うのは、その時代その人の願望によって合理的に解釈されるもので、あなた自身の心のあり様と言えます。
七つの福
七福神の神徳を信じること篤くして、人生を救われる人がたくさんいることから、その信仰が現代に継承されているわけです。
その七福神信仰の歴史はどんなものなのでしょうか?
鎌倉時代、日本古代の守り神 恵比須の信仰に中国を経てインドからの大黒天、弁財天の信仰が加わりました。

恵比須:漁撈、労働、商売などの守護神
大黒天:五穀豊穣、飲食の神
弁財天:音楽、知恵、弁説、材福の神
毘沙門天:人倫の道、仏法の守護神
布袋尊:家庭円満、福徳の神
福禄寿:幸運、生活の安定長寿の神
寿老人:長寿延命の神

七福神ってなあに(個々の神様の説明)はこちら


室町時代にかけてこの三神の信仰が庶民の間に深まってきました。
そののち毘沙門天(びしゃもんてん)・布袋尊(ほていそん)・寿老人(じゅろうじん)の四神が加えられて人々の願望に応える七福神として信仰の象徴になったものと一般的には考えられています。

江戸時代上野寛永寺の開祖、天海僧正が徳川家康に説いて、寿命、有福、人望、清廉、威光、大量を七福とし、為政者のあるべき姿としました。

江戸時代、八代将軍吉宗の頃には、世も泰平が続き庶民も安逸をむさぼるようになります。
江戸八百八町にはそれぞれそれぞれ名所が開発され観光と神仏もうでを兼ねた行楽の気分が旺盛になります。
江戸末期には商売繁盛、無病息災、各種大願成就の福徳、福運を求めて、各地で七福神詣でが隆盛を極めました。
特に正月松の内に巡拝して一年の福徳を願うようになって、今日七福神詣でのかたちとなったのです。

七福神会のしおりから抜粋
 
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